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自分にとってblogは人生の覚書。Art、映画、音楽に関するTopicsを新旧おりまぜ日々更新中。毎日ココロに浮かんでは消える想いなどつぶやきます。たまに旅をします。(c) jigenlove All rights reserved.


by jigenlove
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Beautiful is not sweet、also shock.

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行ってきました、観てきました!
Stephan Balkenhol
シュテファン・バルケンホール

(ドイツの現代彫刻家)
東京オペラシティで本日スタートの展覧会。今年のマストに挙げましょう。
POPな彫刻入門とでも申しましょうか?意外にも日本での初めての個展だとか。(先に大阪、開催中の東京の2会場。)



今日は本人によるギャラリートーク。時間が迫るにつれホールに沢山の人が集まるざっと100人は超えていただろう。本人も予想していなかったらしく驚いた様子。キュレーターの美人で気の強そうなお姉さんと丁寧で発音の良い通訳さん、そして作家である彼が登場。
背が高く恰幅の良い力持ちってカンジだ。それもその筈、木で出来た大きな頭部の作品などは100kgはあり、7人以上で上げ下げし展示すると言う。この日の彼の様子はブルーのチェックのシャツにリーバイスのジーンズ、キャラメル色の革ブーツというラフないでたち。さながら樵か大工さん。ただし切れ者。

以下が内容、その場でメモしたものを元に起こした。早速いくつかご紹介しよう。[注:質問はキュレーターと会場の観客。ギャラリートークは会場内を作家と移動し行われた。]

Q.あなたの作品の人物像は無表情で中立的である。動物の作品群が面白いポーズだったり、顔が笑っているわけではないが表情豊かなのに対し、意図は何か?

A.わたしの今まで作品は大きくふたつに分けれらる。①人物像②動物たちだ。これに最近は写真を基にした人物レリーフ、風景のレリーフが加わる。確かに②はレジーなもの、コミカルなものが多い。あと、ハイブリットなもの(動物の頭部に人の体)もある。

これに対し、①は無表情に作られている。わたしが表したいものは人物の表情ではない。何かと何かの間だ。そのどちらでもないように心掛けている。表情によって何かを表すことには興味がない。もっと言えば何かを表現し過ぎないように注意している。

これには理由がある。例えば「笑う」動作や感情を表現したいならもっと別の方法がある。映像作品や映画を撮ればいい。人物の表情で注意しているのはオープンであること。またアクションとアクションを起こす間を表している。Beautiful is not sweet、also shock._e0079749_9104936.jpg

Q.あなたの作品は巨大な頭部だったり、全身像でも2mあって、あり得なくはないがわずかに大きかったりして日常見るものより違和感を感じたり、かと思うと 小さな人物や動物であったりする。作品のサイズの決め方やインスピレーションはどのように沸いてくるのでしょうか。

A.展示スペースがあらかじめ決まっている時は、その場所にふさわしいと思える大きさを思い描く。あともちろん倉庫にあるキーでもインスパイアされる.その両方だ。木によってはすごく個性の強いものもあるんだ。それに手に入りやすいということ。とても太い幹のあの作品に使った木はすぐ近所で手に入るんだ.重要なことさ。

あと、先ほど述べたふさわしいサイズについてだが、必ずしも大きな会場に大きな作品を持ってくるわけではない。とても天井の高い部屋に小さな人物像を配するとモニュメンタルになったり、ということがある。作る時や配置する時はそのものの物理的な存在を感じて作っている。そういう意味で展覧会は毎回LIVEな作業だ。その作品を会場に配置する度、新たないのちを吹き込まれるのを感じる.別の可能性が見えるんだ。それが毎回実に楽しいことだ。
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Q.さて、あなたの作品には、毎回高い位置に配するもの、必ずペアで置かれるものもある。先ほどの説明とは反対に、場所や見せ方が決まっている作品もあるようだが?

A.今回も高い位置にあるあの作品は、いつもならもっと高い位置にするんだ。(笑) そしてロダンの「接吻」が転写されているシルクスクリーンのパネルとその前のミケランジェロの「ピエタ」像の彫刻はセットの作品で別々にすることは考えていない。今回の設置場所はキュレーターと試行錯誤しながら壁で仕切ったが、朝早いと天窓から光が差し込んで ちょうどカソリックの教会みたいに神聖な雰囲気が出て面白い。毎回遊び心を持って展示している。

Q.あなたの「ピエタ」像は粗く削ったままでささくれが立ち、日本で言えば円空のような素朴な味わいに溢れています。日本でも円空のような人はいましたが、近年は表面がつるりとした精巧なものが多い。これは日本の伝統的文化である精巧さや細やかさが好まれる背景も恐らく関係があると思われます。あなたの作品の途中で止めたようなものや、すべての作品に見られるささくれ、表面の処理についてお訊かせください。

A.14歳の時初めて木を削り足を作った。その時はつるつるに磨いたんだよ.それから次第に今のスタイルになった。24歳の時。チェーンソーで木を切り出し、その塊を粗く彫るんだ。いつも迷うことがある。それはどの時点で止めるかだ。あの「ピエタ」はかなり粗い状態で止め、この先どうなっていくのか想像してもらうようにした。例えて言うならあのピースはスケッチだ。作品は綺麗に仕上げれば良いのではない。いつ止めるか.どのタイミングを切り取るか。いつもオープンでライブラリーな状態になるよう心掛けている。

あと、よくある質問で返答に困るのが「この作品を作るのにどれくらいかかりましたか?」というのだ。これには毎回「・・・48年」とでも答えたくなる。答えられないんだ。確かに1週間かかるものもあれば数ヶ月かかるものもある。
反対に数時間で出来てしまうものもある。ただそれは手を動かしたり作業している時間であって 作るものにはわたしの経験だったり、出来事、インスピレーションが含まれ、そこに集約されている。わたしは作業は早いほうだ。でも手を動かしている時間が制作時間というわけではない。ちょうどプロのスポーツ選手に例えられるかもしれない
毎日厳しいトレーニングを積み、試合で走る時間は100m10秒もかからない。でもそこまでに行き着くには 人生のほとんどの時間を費やしているだろう。
キュレーター:作家はよくその質問をされ、ある人ははっきり「最も退屈なQuestionだ」と言いきる人もいますね(笑)。

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Q.あなたの作品は観る者を惹きつけ、美術や彫刻の歴史、背景、知識など専門に学んだ人でなくても楽しむことができます。その魅力の要因は何だと考えていますか?

A.とても答えづらい、難しい質問だ.
今思ったことは、わたしの作品は具象的で 頭がここにあって手があって、という風に分かりやすいからではないだろうか。と言っても必ずしも本当に見る人が私の作品を理解しているかは疑問だ。思うに観客は、自分が作品を理解できている、と思えることが好きなのではないだろうか.

あと、ただ見て楽しいのも良いが何が良いのか、なぜ見た作品に惹かれるのか?
これを理解したほうがもっといいだろう.
例えばクラシック音楽なら、バッハを聴いて心地よいと感じたら音楽の構造を理解するとさらにより深く何かを感じることが出来るだろう。そうすることで作品を更に楽しめ、理解して、作品のあらゆる側面を捉えることができる。
美術においてもそれを助けるのが美術や彫刻の歴史、その作品が生まれた社会的背景や文化、過程を知ることであり、知識や教養を身につけることだ。これを知るのと知らないのは大違いであり学び続けていくことが大切だ。

あと、わたしが好む’美しさ’や見せたいと思っているもの、表れたものが人々の好みと合致しているからではないだろうか?それがわたしの作品が親しみやすいと感じられる所以かもしれない.

ある美術評論家はこう言う
「本物のアートは痛みを伴うものだ」
この痛みとは何か?
あるいはショックと言い換えてもいいだろう。今活躍している本当に若いアーティストの中には、ショッキングなもの、残酷なもの、人々がびっくりするようなものを作る人も多い。

そもそも’美しさ’とは何か?
美しさとは甘いということではない。
美しさは綺麗というだけではない。
’美’を何に感じるか?
’美’はショックでもあり、綺麗でもあるがこれらはイコールではない。
’美しさ’とは何か?これは作家の抱える命題だ。

わたしが表したいものはショックではない。ただしショックが必ずしも悪いというわけではない.美しいものが美しいと同時にショックなものであったらいい、という考えだ。例えばとても美しい女性に出会って胸がドキドキして楽しくなったりイライラしたり眠れなくなったりと、そういうショックもあるのでは?(笑)

Q.あなたの作品は着彩されています。具象彫刻が着彩されているのは私は自然に感じて好きです。しかし彫刻の世界で意外と珍しい部類に入るのではないでしょうか。例えば民芸品や工芸の世界では着彩されたものは多い。この手法をあなたはどう考えていますか?または独自の手法と捉えていますか?

A.わたしの作品は最初から色を塗ることを免れません。始めからそのつもりで作ります。もしかしたら木という素材を忘れるためにしているのかもしれません。他の作家では、木の美しさを見せるために表面を滑らかに整え、さらに磨いたりするでしょう。わたしはそれには興味がありません。それは表したいことではない。見たものをその通りに、本物そっくりに表現することにも興味がありません。

Q.若い作家、またはその卵たちへなにかメッセージをお願いします。

A.ドイツの大学で教鞭を執っているが、レジーな若者が多い。制作しないで遊んで過ごし、とにかく作らない。制作のプロセスだと言いながらカフェにたむろっているだとか。
その人のしてきたこと、感じたことすべてが作品に含まれ、反映されるんだ、それなのにどうして?!作品を作って発表するのはとてつもないパワーが要ることなんだ.ギャラリストやコレクターや観客、それらすべての人々を巻き込むようなものでないとならないから。怠惰に過ごして、そんなパワーを感じられる作品を一体全体作ることができるものだろうか?決して作れないだろう。So,keep on!!

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http://www.operacity.jp/ag/exh66.html
会場でまた学友5人と会いSUBWAY。
偶然なんだけどもうこの会い具合ナニ。
行動範囲って限られてますよね、美術に関心のある若者の行くとこなんて.
でも今は大雨、早く引き上げてきてよかった。どこかでまた遭おう。
しかし今晩はよく降りますね.
by jigenlove | 2005-10-15 21:45 | 展覧会