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自分にとってblogは人生の覚書。Art、映画、音楽に関するTopicsを新旧おりまぜ日々更新中。毎日ココロに浮かんでは消える想いなどつぶやきます。たまに旅をします。(c) jigenlove All rights reserved.


by jigenlove
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やまなし〔初期形〕 その後

二、十一月、

蟹の子供らはもうよほど大きくなり底の景色も夏から秋の間にすっかり変りました。
白い柔らかな円石もころがって来 小さな錘の形の水晶の粒や金雲母のかけらもながれて来てとまりました。
そのつめたい水の底までラムネ瓶の月光がいっぱいに透り天井では波が青じろい火を燃したり消したりしてゐるやう あたりはしいんとして たゞいかにも遠くからといふやうにその波の音がひゞいて来るだけです。
蟹の子供らはあんまり水がきれいなので睡らないで外に出てしばらくだまって泡をはいて天井の方を見てゐました。
「やっぱり僕の泡は大きいね。」
「兄さん、わざと大きく吐いているんだい。僕だってわざとならもっと大きく吐けるよ。」
「吐いてごらん。おや、たったそれきりだらう。
いゝかい。兄さんが吐くから見ておいで。
そら、ね、大きいだらう。」
「大きかないや、おんなじだい。」
「近くだから自分のが大きく見えるんだよ。そんなら一緒に吐いて見やう。
いゝかい、そら。」
「やっぱり僕の方が大きいよ。」「本統かい。ぢゃ、も一つはくよ。」「だめだい、そんなにのびあがっては。」
お父さんの蟹が出てきました。「もうねろ、ねろ、遅いぞ。あしたイサドへ連れてかんぞ。」
「お父さん。僕たちの泡どっち大きいの。」
「それは兄さんの方だらう。」「さうぢゃないよ。僕の方大きいんだよ。」弟の蟹は泣きそうになりました。
そのとき ドブン。
黒い円い大きなものが天井から落ちてずうっとしづんで又上へのぼって行きました。キラキラッと黄金のぶちぶちがひかりました。
「かはせみだ。」子供らの蟹は立ちすくみました。
「さうぢゃない。あれはやまなしだ。流れて行くな ついて行って見やう。あゝ いゝ 匂だな。」
なるほどそこらの月あかりの水の中はやまなしのいゝ匂でいっぱいでした。三疋はぽかぽか流れて行く山梨のあとを追ひました。その横あるきと底の黒い三つの影法師。間もなく水はサラサラ鳴り天井の波はいよいよ青い焔をあげ山梨は横になった木の枝にひっかゝってとまりその上には月光の虹がもかもか集りました。
「どうだ、やまなしだよ。よく熟してゐる。いゝ匂だらう。」「おいしさうだねお父さん。」
「待て待て、もう三日ばかり待つとね こいつは下へ沈んで来る。それからひとりでにおいしいお酒ができるから。さあ、もう帰って寝やう。おいで。」蟹は自分らの穴に帰って行きます。波はいよいよ青白い焔をゆらゆらとあげました。


出典: 校本 宮澤賢治全集第九巻  
発行: 昭和十九年一月十五日初版 筑摩書房
by jigenlove | 2006-01-04 22:37 | 物語