それぞれの愛と冒険
2006年 04月 22日
長い航海の間に、バスチアンはしだいにイスカールナリの一員になっていた。
舞を舞っていると、自分個人の思いの力が他の人びとのものと溶けあい一致して、一つの力となってゆくのを感じた。
それは、自分を忘れ他と和合する、独特の感覚だった。
バスチアンは、この共同体にほんとうに受け入れてもらい、その一員になったことを実感した。
----それと同時に、自分がいた世界、そして今そこへの帰り道をさがしている世界に、人間が、みなそれぞれ自分の思いを持ち帰った人間がいる、という記憶が消え去った。
おぼろげながら覚えているのは、自分の家のことと両親のことだけになった。
ところが、バスチアンの心のずっと奥深くには、一人ぼっちでいたくないという望みとは別の、もう一つの望みがあった。
そして、それが、今ひそかに動きはじめた。
それが動きはじめたのは、バスチアンが、イスカールナリたちの共同性はそれぞれまったく異なる思いを一つに調和させてできたものではなく、かれらは共同体としての感情を持つことに何の努力も要らないほど、もともとそっくり同じなのだということに、はじめて気付いた日だった。
かれらは個人としての感情を持っていないので、たがいに争ったり意見の不一致をみたりということは、起こりようのないのだった。
だからたがいの調和を見出すために対立を克服する必要がなかったのだ。
まさにこの努力のなさが、バスチアンはしだいにものたりなく思えてきた。
かれらのおだやかさはつまらなさになり、常に同じメロディーの歌は、単調に思えてきた。
こうしてすべてにものたりなさを覚え、自分が何かに飢えているのを感じはじめたが、それが何なのかはまだわからなかった。
それがはっきりしたのは、その後しばらくして、一羽の大霧鴉が空に姿を現したときのことだった。
イスカールナリはみなこわがり大急ぎで甲板の下にかくれたが、一人だけ逃げ遅れた。
すると恐るべき大霧鴉はするどい鳴き声とともにとびかかり、その不運な男をくちばしでつかみ運び去った。
危険が過ぎ去ると、イスカールナリはみな出てきて、まるで何事もなかったように、歌をうたい舞を舞って旅をつづけた。
悲しみも嘆きもせず、今の出来事については一言話すでもなく、それまでどおり和気あいあいとしてたのしそうだった。
バスチアンがそれを問いただすと、一人がいった。
「いいえ、わたしたちはちゃんとそろっていますよ。どうして嘆くわけがありますか?」
彼らのもとでは、一人一人の個人の問題ではないのだった。
みなそっくり同じで区別がないのだから、かけがえのない個人はいないのだった。
けれどもバスチアンは、一人の個人でありたかった。
ほかのみなと同じ一人ではなく、バスチアンがバスチアンであるからこそ愛してくれる、そういうふうに愛されたかった。
イスカールナリの共同体には和合はあったが、愛はなかった。
バスチアンは最も偉大なものとか、最も強いものとか、最も賢いものでありたいとは、もはや思わなかった。
そういうことはすべてもう卒業していた。
今は、愛されたかった。
しかも、善悪、美醜、賢愚、そんなものとは関係なく、自分の欠点をすべてひっくるめて
----というより、むしろ、その欠点ゆえにこそ、あるがままに愛されたかった。
しかし、あるがままの自分はどうだったのだろう?
バスチアンはもう忘れてしまっていた。
ファンタージェンに来て実にたくさんのものを得た今、その手に入れたものや力に埋もれて、自分自身が見えなくなってしまっていた。
その時以来、バスチアンはもう霧の水夫たちの舞には加わらなかった。
船首の突端にすわり、くる日もくる日も、時には夜どおし、スカイダンのかなたを見つめて暮らした。
そうしてやっと向こう側の岸についた。霧の船が接岸すると、バスチアンはイスカールナリに礼をいって上陸した。
そこには、ばらが一面に咲きみだれていた。
ありとあらゆる色の、ばらの森だった。
そのばらの茂みのまん中に、一本の小径がうねって通っていた。
バスチアンはその小径をたどっていった。
~『はてしない物語』 M・エンデ作~
舞を舞っていると、自分個人の思いの力が他の人びとのものと溶けあい一致して、一つの力となってゆくのを感じた。
それは、自分を忘れ他と和合する、独特の感覚だった。
バスチアンは、この共同体にほんとうに受け入れてもらい、その一員になったことを実感した。
----それと同時に、自分がいた世界、そして今そこへの帰り道をさがしている世界に、人間が、みなそれぞれ自分の思いを持ち帰った人間がいる、という記憶が消え去った。
おぼろげながら覚えているのは、自分の家のことと両親のことだけになった。
ところが、バスチアンの心のずっと奥深くには、一人ぼっちでいたくないという望みとは別の、もう一つの望みがあった。
そして、それが、今ひそかに動きはじめた。
それが動きはじめたのは、バスチアンが、イスカールナリたちの共同性はそれぞれまったく異なる思いを一つに調和させてできたものではなく、かれらは共同体としての感情を持つことに何の努力も要らないほど、もともとそっくり同じなのだということに、はじめて気付いた日だった。
かれらは個人としての感情を持っていないので、たがいに争ったり意見の不一致をみたりということは、起こりようのないのだった。
だからたがいの調和を見出すために対立を克服する必要がなかったのだ。
まさにこの努力のなさが、バスチアンはしだいにものたりなく思えてきた。
かれらのおだやかさはつまらなさになり、常に同じメロディーの歌は、単調に思えてきた。
こうしてすべてにものたりなさを覚え、自分が何かに飢えているのを感じはじめたが、それが何なのかはまだわからなかった。
それがはっきりしたのは、その後しばらくして、一羽の大霧鴉が空に姿を現したときのことだった。
イスカールナリはみなこわがり大急ぎで甲板の下にかくれたが、一人だけ逃げ遅れた。
すると恐るべき大霧鴉はするどい鳴き声とともにとびかかり、その不運な男をくちばしでつかみ運び去った。
危険が過ぎ去ると、イスカールナリはみな出てきて、まるで何事もなかったように、歌をうたい舞を舞って旅をつづけた。
悲しみも嘆きもせず、今の出来事については一言話すでもなく、それまでどおり和気あいあいとしてたのしそうだった。
バスチアンがそれを問いただすと、一人がいった。
「いいえ、わたしたちはちゃんとそろっていますよ。どうして嘆くわけがありますか?」
彼らのもとでは、一人一人の個人の問題ではないのだった。
みなそっくり同じで区別がないのだから、かけがえのない個人はいないのだった。
けれどもバスチアンは、一人の個人でありたかった。
ほかのみなと同じ一人ではなく、バスチアンがバスチアンであるからこそ愛してくれる、そういうふうに愛されたかった。
イスカールナリの共同体には和合はあったが、愛はなかった。
バスチアンは最も偉大なものとか、最も強いものとか、最も賢いものでありたいとは、もはや思わなかった。
そういうことはすべてもう卒業していた。
今は、愛されたかった。
しかも、善悪、美醜、賢愚、そんなものとは関係なく、自分の欠点をすべてひっくるめて
----というより、むしろ、その欠点ゆえにこそ、あるがままに愛されたかった。
しかし、あるがままの自分はどうだったのだろう?
バスチアンはもう忘れてしまっていた。
ファンタージェンに来て実にたくさんのものを得た今、その手に入れたものや力に埋もれて、自分自身が見えなくなってしまっていた。
その時以来、バスチアンはもう霧の水夫たちの舞には加わらなかった。
船首の突端にすわり、くる日もくる日も、時には夜どおし、スカイダンのかなたを見つめて暮らした。
そうしてやっと向こう側の岸についた。霧の船が接岸すると、バスチアンはイスカールナリに礼をいって上陸した。
そこには、ばらが一面に咲きみだれていた。
ありとあらゆる色の、ばらの森だった。
そのばらの茂みのまん中に、一本の小径がうねって通っていた。
バスチアンはその小径をたどっていった。
~『はてしない物語』 M・エンデ作~
by jigenlove
| 2006-04-22 13:03
| 物語