灯台にて
2006年 04月 25日
午後、行きつけの灯台へ。
灯台へ来たら、すこし空などを見て、やはり海も見て、すこし本を読んで、おにぎりを食べ、それからまた本を読む。
読むのに飽きたら、すこし考えてみる。
さして考えることもないのだけれど、この世で灯台くらい「考える」のに適した場所はない。
なぜかと理由を訊かれても困る。
でも「考える」ということは、いつもの場所を離れ、誰もいないところまで行き、そこで何やら遠くの向こうの方にあるものをうかがったりすることのような気がする。
そのとき、自然と孤独のふりをできるのが灯台のいいところ。
実際誰もいないのだし、うまくすれば携帯電話も圏外を示す。
理由を訊かれても困るが、人はそんなふうにちょっとでも寂しくならないと、本当に「考えるべきこと」を考えない。
傍目に愉快だったり豪快だったりする人も、じつはひとりでこっそり灯台へ出かけ、寂しげに望遠鏡を磨いたり。お腹の腹筋をゆるめて深呼吸をしているに違いない。
そういえば、「灯台もと暗し」という言葉があった。
その暗く心もとない足下をひさしぶりに陽にさらし、おそるおそる確認する。
やぁ、まだ足はあるぞ。
生きてる。助かった。
胸をなでおろし、急いで足場を固めなおす。
ちょうど投手がマウンドに立ったときのように。
あるいは農夫が新しい苗を植えるときみたいに。
うつむきながらも思いを込める。
そのうちようやく「あれ?」と気付き、あわててしゃがみこんで靴のひもがゆるんでいたのを締めなおす。
あぶない、あぶない。
きっちりひもを結んだら、そのままさっと踵を返す。
灯台のいいところは、踵を返して海に背を向けると、いつもの自分の場所にすぐ戻れること。
圏外の自由に満足したら、圏内へ還って「考えた」ことを土産にできること。
いや、それよりも、孤独なふりをしてしまった自分に舌を出し、「考えた」ことなど一切忘れて
「今から行ってもいい?」
誰かに電話をかけてみよう。
『という、はなし』より ~「灯台にて」~
文:吉田篤弘 絵:フジモトマサル
灯台へ来たら、すこし空などを見て、やはり海も見て、すこし本を読んで、おにぎりを食べ、それからまた本を読む。
読むのに飽きたら、すこし考えてみる。
さして考えることもないのだけれど、この世で灯台くらい「考える」のに適した場所はない。
なぜかと理由を訊かれても困る。
でも「考える」ということは、いつもの場所を離れ、誰もいないところまで行き、そこで何やら遠くの向こうの方にあるものをうかがったりすることのような気がする。
そのとき、自然と孤独のふりをできるのが灯台のいいところ。
実際誰もいないのだし、うまくすれば携帯電話も圏外を示す。
理由を訊かれても困るが、人はそんなふうにちょっとでも寂しくならないと、本当に「考えるべきこと」を考えない。
傍目に愉快だったり豪快だったりする人も、じつはひとりでこっそり灯台へ出かけ、寂しげに望遠鏡を磨いたり。お腹の腹筋をゆるめて深呼吸をしているに違いない。
そういえば、「灯台もと暗し」という言葉があった。
その暗く心もとない足下をひさしぶりに陽にさらし、おそるおそる確認する。
やぁ、まだ足はあるぞ。
生きてる。助かった。
胸をなでおろし、急いで足場を固めなおす。
ちょうど投手がマウンドに立ったときのように。
あるいは農夫が新しい苗を植えるときみたいに。
うつむきながらも思いを込める。
そのうちようやく「あれ?」と気付き、あわててしゃがみこんで靴のひもがゆるんでいたのを締めなおす。
あぶない、あぶない。
きっちりひもを結んだら、そのままさっと踵を返す。
灯台のいいところは、踵を返して海に背を向けると、いつもの自分の場所にすぐ戻れること。
圏外の自由に満足したら、圏内へ還って「考えた」ことを土産にできること。
いや、それよりも、孤独なふりをしてしまった自分に舌を出し、「考えた」ことなど一切忘れて
「今から行ってもいい?」
誰かに電話をかけてみよう。
『という、はなし』より ~「灯台にて」~
文:吉田篤弘 絵:フジモトマサル
by jigenlove
| 2006-04-25 16:09
| 物語